ハウスミュージック名曲ランキング

ハウスミュージックの名曲ランキング~史上最高(オールタイムベスト)のHouse音楽は?--。米タイムアウト誌が2016年に選んだ歴代ベスト10です。曲名やアーティスト、YouTube動画を一覧にまとめました。おすすめの曲や、クラブで定番の有名な曲がそろっています。

■ ハウス名曲ランキング
順位 曲名 アーティスト
「ユア・ラブ」
(Your Love)

1986年

ユア・ラブ

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フランキー・ナックルズ&ジェイミー・プリンシプル
(Frankie Knuckles & Jamie Principle)

シカゴ出身でハウスの先駆者だった音楽家ジェイミー・プリンシプルの1984年の歌を、 DJのフランキー・ナックルズがリミックスした。 シカゴのクラブシーンで大人気となり、ハウスミュージックの古典となった。
「ノー・ウェイ・バック」
(No Way Back)

1986年

ノー・ウェイ・バック

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アドニス
(Adonis)

アシッドハウスのパイオニアであるアドニスの代表曲。 シカゴハウスの創世記において最も重要な曲の一つとされる。 10万以上のセールスを記録した。 「もう自分をコントロールできない(I've lost control)」「後戻りできない(Ain't no way back)」という短いフレーズを繰り返す。 装飾を省いたクールな名曲。
「ミステリー・オブ・ラブ」
(Mystery of Love)

1986



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フィンガーズ・インク
(Fingers Inc.)

「ディープハウス」の先がけとなったグループ「FINGERS INC.」の古典。 最小限のシンセベース、アシッドなマシンビートに絡む幽玄なシンセサイザーが特徴。
「フレンチ・キス」
(French Kiss)

1989



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リル・ルイス
(Lil' Louis)

1980年代と1990年代に大活躍したシカゴ生まれのDJ、リル・ルイスの代表作。 クラブ音楽という枠を超える商業的な大成功を収めた。

曲の途中でだんだんスローなテンポになっていき、やがて完全に止まる。そして、再び息を吹き返す。 女性のあえぎ声も効果的に使われている。 まるで性的なシーンやオルガズムを想起させるかのような生々しさがある。 容赦のないグルーヴ感に満ちたエキサイティングな曲。

世界中のクラブで人気曲となり、 盛んに流された。 ヨーロッパでは一般の人たちからの人気も得て、イギリス、ドイツ、スペイン、スイスで2位。オランダで1位に輝いた。 オリジナル版はインストゥルメンタルだが、ヒットした後にハウス歌手ショーン・クリストファーのボーカルを付けたバージョンも登場した。
「キャン・ユー・フィール・イット?」
(Can You Feel It?)

1986



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キング牧師の演説リミックス→




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ミスター・フィンガーズ(ラリー・ハード)
(Mr. Fingers)

ディープ・ハウスの最初のレコードの一つ。 シカゴやロンドンのクラブ・シーンで大人気となり、時代の先駆けとなった。 マーティン・ルーサーキング牧師の演説をミックスさせたバージョンも人気を集めた。

ミスター・フィンガーズは、 音楽家ラリー・ハード(Larry Heard)のいくつかの芸名の一つ。 ハウスの大物アーティストを紹介した本「ハウス・レジェンド」で、 ハードは「深く、ときに激しく感情を発露し、常にクールな視点で人間の内面やわれわれの置かれている大きな環境について、丁寧に描写していく」と紹介されている。
「ムーブ・ユア・ボディ」
(Move Your Body)

1986


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マーシャル・ジェファーソン&オン・ザ・ハウス
(Marshall Jefferson and On the House)

マーシャル・ジェファーソンは、シカゴの超大御所プロデューサー。 この人がいなかったら、ハウスの進歩は5年は遅れていたのでは、と言われている。 偉業の数々の中でもとりわけ評価されているのが本曲である。 また、本曲をカーティス・マクレーンに歌わせたことも高く評価されている。

本曲以外にも、トラックスやDJインターナショナルなどの初期のシカゴ・ハウスの重要曲には、 必ずといっていいほど関係している。「ハーキュリス」などの名前でも活躍している。
「キャン・ユー・パーティー」
(Can You Party)

1988


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ロイヤル・ハウス
(Royal House)
「ブレイク・フォー・ラブ」
(Break 4 Love)

1988



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レイズ
(Raze)
「ブードゥー・レイ」
(Voodoo Ray)

1989



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ア・ガイ・コールド・ジェラルド
(A Guy Called Gerald)
10 「チャイム」
(Chime)

1990



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スタジオ演奏→




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オービタル
(Orbital)

出典: TimeOut The 20 best house music songs ever mede

ハウスミュージックとは

ハウス・ミュージック(House Music)とは、シンセサイザーやドラムマシーンを使った電子音楽(テクノ・ミュージック)の一つであり、ダンス音楽のメジャーな一形態。

「四つ打ち」のリズムを特徴とする。クラブでダンス音楽として使われることが多い。 ディスコ音楽の影響を受けているが、メロディよりもリズム感が重視される傾向がある。 過去のヒット曲の印象的なフレーズを拾って組み合わせ、オリジナルな作品に仕上げることもある。

1980年代初期にシカゴで誕生したとされる。 フランキー・ナックルズがDJをしていたシカゴのゲイ・クラブ「ウェアハウス」(Warehouse)が、「ハウス」という名称の由来。

ハウスの起源

ハウスミュージックの開祖はDJフランキー・ナックルズと言われている。フランキー・ナックルズは1970年代半ばに米国シカゴの“ウェアハウス”というゲイ・クラブでDJを始め、そこでかかっていた音楽“ウェアハウス・ミュージック”が転じて“ハウスミュージック”となった。

歴史的背景

1970年代、世界はディスコブームに沸いたが、80年代に入ると、音楽としてのディスコは急速に勢いを失う。その穴を埋めるように、クラブではDJの独自アレンジを加えたサウンドが重宝されるようになった。 そこで登場したのがハウスミュージックである。

ハウスの曲

パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム

ハウス初のレコードとして発表されたのはジェシー・サンダース"On&On"(1984年)。最初のメジャーヒットとなったのは、イギリスのハウスユニット「M/A/R/R/S(マーズ)」の「パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム」(Pump Up The Volume)。1990年に大ヒットしたマドンナの“ヴォーグ”は典型的なハウスだとされている。

サウンドの進化

「ALL ABOUT DISCO MUSIC (bounce book)」(エフエム東京)によると、初期のハウスの曲がレコードとして売れるようになると、トラックスやDJインターナショナルといったレーベルが設立され、マーシャル・ジェファーソンやラリー・ハードといった面々が躍進を遂げていく。そのサウンドはディスコの宅録ヴァージョンとも言えるもので、初期はチープで粗削りなものが多かったものの、やがてそのスタイルは<洗練>と<突然変異>という道を歩む。後者にあたるのがスリージーD、DJピエールが生み出したアシッド・ハウスだろう。これらのサウンドには、当時のDJとして変態的プレイを聴かせていたロン・ハーディや、古くから地元で活動していたリル・ルイス、ホット・ミックス5からの影響も見られる。やがてハウスはNY~ロンドンなどに伝播し、1980年代の一大トレンドとなった。

フランキー・ナックルズ(FRNKIE KNUCKLES)

フランキー・ナックルズは、ハウス音楽の生みの親とされるDJ。

シカゴのクラブ「ウェアハウス」

当初はニューヨークで活動していたが、1977年、シカゴのクラブ「ウェアハウス」(Warehouse)のオープンに伴い、レギュラーDJ(レジデントDJ)として招かれる。 そこで、ナックルズは、ディスコ音楽やソウルミュージック、ヨーロッパ生まれのエレクトロダンス音楽をミックスする手法を生み出し、 絶大な人気を博した。とくに、アフリカ系(黒人)やゲイコミュニティーの間で熱狂的な支持を受けた。

新しいダンス音楽

ナックルズはさらに試行錯誤を繰り返して新しい電子系ダンス音楽の原型を作り出していった。 その音楽は、クラブ名(ウェアハウス)から「ハウス」と呼ばれるようになり、 ハウス・ミュージックの歴史的な起点となった。

大阪のクラブ「Genesis」の専属DJ

日本では、大阪のクラブ「Genesis」の専属DJとしてプレイしたことがある。

ダンスチャートで1位

1988年、NYに戻りデブ・ミックスに参加。以後、トップ・リミキサーの座に君臨し続けた。 個人名義でもヴァージンより「ウィッスル・ソング」を発表し、アメリカのダンスチャートで1位に輝いた。(その後、3曲が1位になっている)『ビヨンド・ザ・ミックス』などのアルバムも発表した。

ラリー・レヴァンの盟友

ラリー・レヴァンとは、中学の同級生であり、友人。ともにDJとして修業した。早期にゲイとしてカミングアウトしていた。

<フランキー・ナックルズのプロフィール>
職業DJ、音楽プロデューサー、リミキサー
生まれ1955年1月18日
死去2014年3月31日
出身ニューヨーク・ブロンクス
ジャンルハウス、R&B、ソウル、ポストディスコ
本名ローレンス・フィルポット
参考資料
  • 本「クラブ・ミュージックの文化誌―ハウス誕生からレイヴ・カルチャーまで」(編集:野田努、宝島編集部)の「ハウス・サウンドの誕生と展開」(小泉雅史著)
  • 本「ALL ABOUT DISCO MUSIC (bounce book)」(エフエム東京)
  • ドキュメンタリー映画「アンユージュアル・サスペクツ」(アメリカ)
  • 本「House Legend」(remix編集部)
  • ドキュメンタリー映画「マエストロ」(2003年、アメリカ)
  • ドキュメンタリー映画「リキッド・ヴァイナル」(アメリカ)
  • Wikipedia(ウィキペディア)英語版、日本語版